Mag-log in「調味料は割とあったけど、バルサミコ酢と白ワインビネガーはなかったよね。オリーブオイルも切れてたな〜。ゆうは、値段と質、どっちを重視している派? 野菜と果物と肉は、栄養価を重視するために、一番鮮度が高そうなものを選んだよ」
「や、安いもので……」
「了解! じゃあ、一番得なものを選ぶね! 俺にまかせて!」
彼がしゃがむ。オリーブオイルをいくつか手に取って見ながら、グラム数と値段とを見比べ、計算している。
首の後ろが大きく開いていて、背中が覗けそうだった……。
いやいやいやっ! だめ……! 覗いたら私、ヘンタイだよ……!
……でも、彼は今私に背を向けて集中していて。今なら、耳についてるピアスを、こっそり、背後から取ることができそうだった。
ああ、でも、大変なことになるかなあ……。
でも、このままずーっとうちにいられるのは困る……。私に恋愛なんて無理だし……。
ぐるぐるぐる
立ち上がれなくなった私を愛楽くんがリビングまで運んでくれて、私、愛楽くん、深美くん、男の子でソファ前のテーブルを囲む。 男の子はずっと私を、キラキラした、泣きそうな笑顔で見つめてくる。うう、怖いよ……。 ヴーッヴーッと、私のスマートウォッチに、お母さんから着信が届いた。「ゆう、出て」 でも、深美くんが……。 困惑したまま深美くんを見ていると、愛楽くんが通話を押してしまった。 スマートウォッチに浮かびあがるお母さんの顔が、ニコッと笑う。『ゆう、久しぶりね〜!』『ゆうー! 無事かー! パパだぞー!!!!』「お母さん、お父さん……! 今、人が来てて……」『いいのよ。ダーリンと相談してね、ゆうに、本当のことを話すことにしたの。その子たちも関係のあることだから、いてもらうことにしたの』 本当のこと……? 関係があるって、深美くんも……?『AI-LEARN――通称、愛楽。そして、そこにいる二人……Heuristic-two――通称、隗と、DEEP-three――通称、深美は、ゆうのことを、小学一年生の時から守っているボディガード用AI搭載人造人間だったの』 ……え? ボディガード用……? AI搭載、人造、人間――深美くんが……⁉『私のこの技術を狙ってくる敵会社がいくつかあってね。そこに雇われた犯罪集団が、昔から、ゆうのこ
サバイバルゲーム……だったのかな、本当に……。 だって、あの電撃みたいなものに当たってしまった愛楽くんの腕は、帰ってきてもまだ、ぶらりとして動かない。 病院に行った方がいいんじゃ……でも、人造人間だとバレてしまったらよくないのかな。どうしたらいいんだろう。お母さんには愛楽くんから連絡したみたいだけど、連絡が来るまで待機しなきゃいけないみたい……。それまでの間、何か、手当てとかした方がいいんじゃないのかな……? 愛楽くんは「平気平気〜」といつもと同じ表情で笑っている。「でも、お料理手伝わせちゃってごめんね〜。疲れてるのに〜」 具材を切るのと調味料を計るのくらい、そんな……。いつもたくさんやってくれているんだから、このくらい、ちょっとのことだよ。 出来上がったミネストローネとサラダ、出来合いの貝のソースをかけたパスタを食べる。 黙々と口に運びながら、橙色の髪の男の子の言葉を、ふっと思い出した。――てめえ……AI-LEARN‼ なんで情報を共有しなかった‼ てめえのせいでゆうが危ない目に……! 恐怖で心臓が固まる。 だけど、少しずつ恐怖が緩んできて……胸に小さな違和感が引っかかっているのを感じた。 あの子、愛楽くんを、AI-LEARN――愛楽くんの本当の名前で呼んでいた。愛楽くんのサバイバルゲームでの名前なのかもしれないけれど……。というか、そもそも、愛楽くん、サバイバルゲームなんて、いつからしていたんだろう? バイトとか、ごはんをつくってくれたりとか、一時期はスポーツも練習しに行ってたみたいだったし、そんな時間あったかな……? 私が知らないところでやっていた可能性だって全然あるけれど。今回がはじめてだった、とか? でも、GPSって? 愛楽くんはスマートウォッチを持っていないのに……AIの機能とか、指輪とかでできるのかもしれないけれど……。 それに、もう一つ。あの男の子は、私の名前を知っていた。私が、危ない目に合うところだったと怒っていた
――バリバリッ! 電撃のような音と、火花のような光が、愛楽くんの右腕で炸裂する。 私が、「ヒッ⁉」と悲鳴をあげると同時に、愛楽くんがはっと目を見開いた。即座に、私の背中を左腕で抱き抱えるようにして、滑るように走る。私たちが通り過ぎた道に、バリッバリバリッと、愛楽くんの腕に当たったものと同じような電撃の塊が当たる。 愛楽くんは私を連れて、石段を駆け下り、砂浜を走った。テトラポットと石壁の間に身を隠して、二人で息を切らせながらしゃがみこむ。「あ、愛楽くん……? ううう、腕……!」「ああ、これ? 大丈夫〜。痛覚はAIと繋がってないから、痛さなんて感じないし、すぐ治るよ〜」 愛楽くんはそうこそこそ言いながら笑うけれど、それが私を安心させるためのものなのだということは分かっていた。愛楽くんの右腕は、ぶらりと垂れ下がっているだけで、ぴくりとも動かない。どう見たって大丈夫じゃない……。 というか、これは何……? 電撃……? が、なんで愛楽くんを襲ってきたの……? 何が起きてるの……? 私の不安な表情に気付いて、愛楽くんがいつものようにふわりとほほ笑む。「大丈夫だよ、ゆう。俺がゆうを、絶対守るから」 ――……あれ。 この言葉……。 私の記憶が、フラッシュバックする。 小学一年生のあの日――私を助けて手を差し伸べてくれた、顔も見られなかった男の子の面影が、愛楽くんに重なる。 もしかして――。 バチバチッ! バチバチッ! と、二度、顔近くのテトラポットに、電撃が当たる。ここにいることが分かっているとでも言うように。「ゆう。俺が出たら、ここから出て、砂浜をまっすぐ走って。止まっちゃだめだよ」「愛楽くん⁉」&
外に出ると、夕日が世界を染めていた。 愛楽くんが、売店でバスタオルを買ってきてくれて、びしょぬれの私の肩にかけてくれた。 子ども用の、プールで使う着替え用のバスタオルで、ピンクのイルカのイラストが描かれていて、面白くてまた笑った。愛楽くんは私とお揃いの、水色のイルカが描かれたバスタオルを肩にかけていて、それも面白くて笑いが止まらなかった。 海がすぐそこにあった。夕日が見えるからと、愛楽くんに連れられて行く。 丸い夕日が、水平線の上に乗っていた。橙色の海と、夜が始まろうとしている紺色の空の色が混ざり合って、きれいだった。 強い風が、私たちの濡れた髪をなびかせる。 私たちしかいなかった。世界に、二人きりになったように思えた。「楽しかったね」「うん……。ありがとう」「ゲームの参考になった?」「あ。途中から忘れちゃってた……。でも、書けそう。ありがとう」「よかった~。どんなゲームなの?」 それは……。言ってしまうと恥ずかしいけれど……ここまで、付き合ってもらったし……。 ごくり。唾を飲んで、緊張で引っ付いた喉を剥がした。「……え、AIの男の子を攻略する、乙女ゲーム……」「…………俺?」 着想は、そう……。恥ずかしくてうつむくと、顔を覗き込まれた。「ゆう――俺のこと、好き?」 ドキリと、視界がぶれるほど、心臓が鳴る。 愛楽くんが、私の心拍数に気付いて、「あ」と言った。「見てみよっか」「え」 愛楽くんの前に、スクリーンが浮かびあがる。
その後も愛楽くんは、私が可愛いなあとじっと見た魚について、詳しい解説をして、プラスアルファみたいな口説きセリフを垂れ流し続けた。私の心臓は、羞恥心にまみれてドキドキ鳴りっぱなしだった。 でも、参考になる。ありがたいな。スマートウォッチに軽くメモして、先に進んだ。 トンネル状の大水槽が、目の前に現れた。 わあ、すごい……。たくさんの魚と、揺らめく水が、日の光でキラキラして……海の中にいるみたい。頭の上を、大きなエイが泳いでいく。顔が可愛い。 見上げながら一回転していると、ふと、愛楽くんが隣からいなくなっていたことに気が付いた。 きょろっと探すと、トンネルの入り口のところに立って、私を見つめていた。「どうしたの?」「ゆうを撮ってた。見惚れてる顔も、光を浴びる肌も、まわるたびにひらめくスカートも、きれいだったから」「撮れるんだ……」「うん。現像とかアップロードは、ドクター・百合華のところにデータを送らないとできないけど。でも、絶対忘れない記録として残せる。ゆうと過ごしてる時間は、一分一秒、全部覚えてるけどね」 ううっ! 本当に今日は次から次に口説き文句が襲ってくる! 嵐の日の波みたい……!「AIに生まれてよかった」 凪のように小さく、愛楽くんがつぶやく。 ふと。愛楽くんの産まれた時のことが気になった。「……あの、愛楽くん」「ん?」「聞いていいかな……」「聞いちゃだめなことなんてないよ~! なんでも聞いて!」「ありがとう。その……愛楽くんって、産まれた時から、AIチップがついてたの……?」
ちょっと遅く起きてしまったけれど、水族館はブランチを食べてから向かう予定だったから、ゆっくり支度できた。 お化粧を終わらせると、食事をつくり終わったらしい愛楽くんが、「ゆう~」と部屋の扉を開けた。 振り向いた私と目が合って、しばらくフリーズする。「……わっ」と動いて、「ああ、もう、まただ……」とため息をつく。 愛楽くんのバグは相変わらず直らない。お母さんにも一応相談したのだけど、「愛楽自身が大丈夫だと判断しているなら、とりあえず様子を見てちょうだい」とのことだった。でも……。「一応、見てもらった方がいいんじゃないかな……」「大事な機能には影響ないから大丈夫~! それに、バグの原因、分かってるから。ゆうが可愛すぎること。今日の服、あの時買ったもう一着の服だよね。すっごく似合う!」 白いノースリーブのブラウスに、水色のロングスカート。ワンピースを買ったお店で、店員さんにおすすめされて、一応と思って着たら好きだなあと思ったから買っていたものだった。……けど、すっごく腕が出るから、ムダ毛の処理をがんばらないといけなかった。ムダ毛の処理なんて、高三の夏ぶり……。「俺も着替えようと思うんだけど、どういう服がいいかな。今日のキャラクター設定も教えてほしくて! ゆうの考えているゲームの、水族館デートに行くキャラクターってどんなキャラクター? それに合わせて、キャラクターを変更するよ!」「えっ、いいよ。キャラクター、変えなくて……」「このキャラクターでいいってこと? そっか、分かった~! じゃあ、どうしようかな。ゆうに合わせた服装で行こうかな~。実はこの前、買ってきたんだよね~!」 愛楽くんが、部屋を出ていく。「このキャラクターでいいってこと?」っていう確認に、そういえば、いつもの愛楽くんも、私のためにつくっているキャラクターなんだってことに気が付いた。 本当の愛楽くんは、最初に
スマートウォッチが、八時五十七分を示す。あと三分で始業の時間だ。 そうぼんやりもしていられないことに気付いて、私はペットボトルを抱いて、急いでオフィスに戻った。 スポーツドリンクと水をこまめに飲んで黙々と仕事する。 頭の重さは相変わらずだったけど、胃の気持ち悪さは、だんだん薄まってきた。「武藤、内線。事務から」 取ると、お客様が来ている、とのことだった。私を訪ねてくるお客さんなんて、思い当たる節がない。 ひとまず一階に下りると――。
愛楽くんは私の表情が暗くなったことに気付いて、心配してくれた。「大丈夫、なんでもない……」と嘘をつく。愛楽くんは噓だと見破っていたけれど、ひとまず昼食を食べようと、手を引いてフードエリアへ向かった。 すれ違う人たちに、似合わないって思われていそうで、怖くて、恥ずかしくて、顔を上げられなかった。 愛楽くんは店員さんもお客さんも女性客が多い、半個室のカフェを選んでくれた。少しだけ、緊張が緩んだ。 ワンプレートを頼んだ。口に運んだけど、味がしなくて、淡々と食べる。食べ終わると、愛楽くんが、「今日はもう帰ろうか」と言ってくれて、う
<BODYGARD SYSTEM> ――目標、地点T56F7。B24、C39、E67、起動。射撃準備、発砲。【BODYGARD PROGRAM】目標、処理しました。――ボディガード機能、スリープ。Heuristic-two、DEEP-threeに引き継ぎます。<TARK ROOM> 【DEEP-three】AI-LEARN、三十二分前の行動理由を説明して。通常
朝食を食べて、身支度をして、リビングに出る。 ソファで待っていた愛楽くんが振り向いて、立ち上がる。 「可愛い」 仕事に行く前と同じように、愛楽くんがそう言う。 いつもはただのスーツだし、今日はお母さんから何年前に送られてきたかも分からない黒いカーディガンと縦じまのシャツにジーパンだし、そもそも私が可愛いわけなんてないから、愛楽くんにとっては挨拶みたいなもの。最初の数日は動揺していたけれど、AIのプログラムによってそう言っているんだと飲み込んだら、慣れてしまった。&